IBM PC誕生から25年--人間志向のコンピュータは実現されるか

CNETJapan掲載のコラム "IBM PC誕生から25年--人間志向のコンピュータは実現されるか" より

IBMPCが世に出てから今年は25年だそうです。
一口で25年といいますが、「まだ」25年ととるか「もう」25年ととるかは人それぞれでしょう。

ま、仕事柄と言うのももちろんあるでしょうが、少なくとも私個人の生活の中でPCが無いと言うことはもう考えられません。というよりもPC+Webなんですけどね。
通信手段は携帯電話以外はメールやIMにほとんど集約されてますし、メールはWebメールGMail)です。
どこかへ行くにしても、携帯やPCで行き先近辺の地図の確認や映画を見るなら上映時間の確認、空席状況etc、車での移動なら渋滞予測。。。

情報収集もWebで済ませています。新聞には新聞なりの良さ、利点があるとは思うのですが、だいぶ前に読む時間が取れないのを理由にとるのをやめたものの、あまり困ってはいません。まぁ、Webのニュースサイトとソーシャルブックマークを使った情報収集がメインなので情報は偏りがちですが(苦笑)

PCがどれほど我々の生活に深く関わるようになったかはこれくらいにして話を戻そう。

 Michael Dertouzos氏は、自身の多くの著作で次のような疑問を投げかけたことで有名だ。同氏は、MITのコンピュータ科学研究室で20年以上教鞭をとった優れたコンピュータ科学者だった。その疑問とはこうである。「なぜ人間は未だにコンピュータに奉仕しつづけているのだろうか。コンピュータが人間に奉仕する日はいつやってくるのか。」彼は、パソコン技術の発達にもかかわらず、人間とコンピュータの関係をいまだに規定している面倒で厄介な作業にがく然としたのだ。コンピュータを操るのは、依然として骨の折れる仕事のままであると。

 実際にはどれひとつとっても、コンピュータが人間に奉仕するような世界を実現するのは言うほど簡単ではない。かといって、コンピュータ業界が旧来的なものにしがみついているのを責めることはできない。それが利益の出る方法なのだから仕方のないことだ。この25年間、コンピュータ業界は「十分に使える」製品を出すことで数十億ドル規模のグローバル産業に成長してきた。

そうだ。我々は未だにPCを「ツール」として使うにとどまっている。
コンピュータが人間に奉仕してくれると言うのはどういうことなのか?

「奉仕」、英語にしたらサービスだが、その提供主体はこれまでのところ人間に限られているような気がする。
機械がサービス、というのはセルフサービスや廉価版のサービスというイメージがあるような。。。
コンピュータが人間に奉仕する世界、ちょっと想像がつかないが、凄い世界になりそうなことは確かっぽい。


ついでにもうひとネタ入れておくと、WWWも先ごろ15周年を迎えた

そんな節目の頃合に、Web2.0だの、Wisdom of Crowdsだのという転換点が来ているのもある意味自然の流れなのか。
IT業界に身をおくものとして今後の進展が楽しみだ。
(楽しみにしてるだけじゃいけないんだけど。。。。)