スローライフを志向するiPodの強み

 政府関連のある研究会で「日本ではケータイが高度化し、高品質のデジタルカメラや音楽プレイヤーの機能はおろか、電子マネーフルブラウザ、はてはテレビチューナーまでを取り込もうとしているが、iPodが映像などのサービス領域に進出することはないのか」という問いに対し、Appleの幹部の方はあっさりと前述のように答え、iPodの「スイス・アーミー・ナイフ化」を当然のように否定した。

 ハイテク製品のスローライフ志向。ある意味、新鮮にも見える視点ではないか。ラジカセという成功体験以来、機能の高度化や複数機能の集積化を「当然」として考えてきた日本家電メーカーの人間にとっては、逆転の、目からウロコ的な発想であろう。

 iPodというコモディティ部品を組み合わせ、枯れたテクノロジーでのみ構成された廉価なハードウェアに、シンプルなデザインだけではなく、スローライフという秘めたメッセージによってプレミアムを加えたAppleの戦略は、「iPodiTunesiTMS」のトライアングル戦略よりも巧妙で動かしにくいものではないかと思う。それは、常になんらかの学習を強要するハイテクに対して潜在的な嫌悪感を持つ人を魅了するものであり、単純に好きな音楽をたっぷりと聴きたいという、常に快適な状態にいることを至上価値とするサル化したヒトの欲求に応えるものになっているのではないだろうか。

なるほど、こういう視点もあるのね、と妙に納得。
確かに従来の価値観では図れない何かがiPod人気にはありますものね。