日中関係について

中国政府の対応により、やっとこさ下火になりつつある(?)日中関係の問題。こじれてますねぇ。個人的には中国国籍をもつ同僚も社内にはいますし、中国人の皆さんは(知り合っている限り見渡しても)対応に困ってしまうひとはおりません。個人レベルではそういう人がほとんどであると信じたいです。では、なぜこんなにこじれているのか。ちょっと考えてみました。
個人的には、「歴史」と言うものに対する捕らえ方の違いなのかなぁ、と感じています。ちょっと前に朝のみのもんたの番組で中国人留学生を呼んで意見を聞いていたときにふとそう思ったんですが。
彼らには輝かしい数千年にわたる歴史があります。その中でアジアの先進国として君臨していた時期もあることを我々は知っています。朝貢外交をしていた時期がありますね。彼らにとって歴史は偉大なものであり、脈々と連なっているものなのだと思います。そんな彼らにとって、文化的指導をしていた立場の日本による侵略は許しがたい行為であり、それに負けてしまったことはまさしく彼らの言うところの「国辱」なのでしょう。
では、対する日本側はどうか。前大戦に対する戦争責任など、反省はしているのですが、どうも「戦前」「戦後」と言う言葉には、そこから前とそれ以降とを切り離して考えようよ、というウラの思いが見え隠れしている気がします。
焦土と化した国土を再建する為に、いわゆるモーレツ世代が高度成長を牽引し、ここまでの再興を成し遂げるには、「過去」を振り返ることなく「未来」だけを見据えて突っ走る必要があったのではないか。だからこそ、戦前・戦後と言う言葉でタイムラインをぶった切ってしまっているのではないか、と感じました。高度成長期に流行ったという「もはや戦後ではない」と言う言葉はそれを象徴しているような気がします。
前述の番組で、その他の国の留学生にも意見を聞いていたのですが、アメリカからの留学生は非常に短いスパンでモノを考えていました。確か、争ってもお互いに利益は無いし、中国にとってはオリンピック開催を控えて対外的に不利になる云々、と言っていたような気がします。一方インドからの留学生は、過去いろいろあったかもしれないけど、「これから」が大事。将来を如何に良くして行くかをお互い考えなければならない、というようなことを言っていた気がします。さすがインド、悠久の歴史。こんな言葉にも国家の年齢とそれが醸し出す(?)歴史と言うものに対する認識・捕らえ方の違いが見えるなぁ、と感じました。
最後に、私も含めた日本人チョット冷めすぎじゃない?中国ではあれだけのデモが起きています。仮にあのデモで邦人の死傷者が出たとしましょう。同じようなデモが起こるでしょうか?たぶんNOだと思います。起こっても極々小規模でしょう。(右翼団体等の活動は除いた市民デモの話です)
これって前大戦の負の遺産で「愛国アレルギー」とでも呼べる現象なのかなぁと感じました。

脈略無くいろいろ書きましたが、要はみんな仲良く!が大事なのかなぁと。月並みですが。
私の好きな漫画の登場人物の言葉を借りれば「みんなで幸せになろうよ(後藤 喜一)」と言うやつです。
ま、たまにはまじめなものも。ということで。