技術者として仕事をするということ

今更ですが、id:jkondo氏の技術者社員向けメッセージを読んで感じたことをコメント。自分はこういったバリバリとコードを書いてサービスをどんどん生み出していくような仕事ではないものの、一応IT業界の端くれとして思うところがあった。多分、業界は違えどそれぞれがおかれた立場なりの解釈で読めば、ある種「仕事論」や「プロ論」に通ずる文章になっているのではないだろうか。

アウトプットを出すということ

仕事としてなにかをするからには、適切なアウトプットを出すことが必要だ。そしてそれは自己満足で終わってはいけないと思う。芸術家ではないのだから。
アルファブロガー小飼弾氏も言っているが、何がアウトプットかは自分で決めればいいのだ。ただし、それを周りの人間が判り、納得するようなカタチで出し、認めさせること、それが重要なのだと思う。
翻って自分の立場に戻れば、アウトプットは高品質なサービスを高い生産性で提供するということ、そして内部的にはその時に得られた様々な情報を暗黙知とせず、形式知として共有・展開が可能な状態で残すということ、になるのだろうか。

要は、貰った金の分はしっかりアウトプットを出すということ。間接部門のコストや福利厚生にかかるコストを考えれば、自分が実際に貰う給料の3倍の儲けを会社に対してもたらす必要があるという話を聞いたことがある。3倍がどこまで信憑性のある数値は別として、貰っている給料分以上の価値を生み出す必要があるのは確かで、営業職で無い場合その見極めは難しいのだろう。でも、それが出来ないのなら、ただの穀潰しなのだ。

批判精神を持つということ

人が為すことを批判することは簡単だ。難しいのは、その批判を論理的に、且つ言葉で相手に伝えるということと、逆に自分に対する批判を真摯に受け止め、消化し、吸収すること。
自分の経験から言わせて貰えば、上位者の意見というものにはどうも飲まれがちだったことがある。「自分よりずっと経験も知識もある人が言うのだから」というやつだ。だが、そういう人だからこそ見落とすこともあるだろうし、思ったことはやはり伝えないといけないのだと思う。それが批判精神ではないだろうか。

自分がいなくても世界は廻る

やや切ないがこれは真実。あなたがいなくても世界は廻っていた。あなたはそこへうまいこと(?)もぐりこんで廻す側の人間になっただけで、抜けたら抜けたなりになんとか世界は廻り続けるのだ。
では、もぐりこむ時に「自分がいなきゃ廻らない世界を作るんだ!」と思うのは悪いことか?いや、そうではないだろう。むしろそのくらいの気概を持たないと「得意領域」を作ることは難しい。ただ、ある程度「得意領域」をつくったあと、それを「抱え込まない」ということ。「自分が築き上げた城の中に篭らず、そのドアを開けておくということ」このバランスが大事なのだろう。
自分がいなければ廻らない世界を作った時点で、この業界では負けだ。その人がなしたことが如何に素晴らしいことでも、その人しか為せないのであれば何の意味も無い。せいぜい許されるのはその人が、他の人よりも多少うまくそれを為せるという程度だ。
id:suikan氏のエントリがいい表現だ。

サポート技術者に関してはちょっと状況が異なります。というのは、あなたがサポートの仕事に就くとき、そこにあるのは「動かない世界」です(w。あなたが何とかしないと動かないんです。

そして、自分がいなくても世界が動き続ける仕掛けを作り、その場から粛々と退場するのがサポート担当者の究極の目標です。仮面ライダーは慈善事業としてショッカーと戦っていましたから、ショッカーを倒した後はレースに戻ったはずです。しかしプロの正義の味方は悪がいなくなると失業するでしょう。

トラブルがなくなるとサポートは失業します。

しかし、それでもトラブルは解決するのではなく、起きないようにすることが目標でなければなりませんし、そのためには低予算の中で常に新しいことを学び試みる努力が求められます。さらには習得した技術はどんどん若手に伝えなければなりません。その若手も後輩にどんどん技術を教えられる人間に育てなければなりません。そして努力が実ると多分合理化されます。くびですね。

ま、その時点で合理化するような会社には未来はないですから去っても悔いはないでしょうけど、組織の機能として自分なしでも顧客が速やかに製品化を終え、生産を滞りなく出来るようにしなければならないというのはいつもサポート技術者が考えているべきことです。

「これはxxさんじゃないと出来ない」などと褒められるのは恥だと考えなければ。

そうやって考えていてもなかなか思うようになりません。難しいものです。

まさに、言うは易し、行うは難しですね。この事実を(たまに忘れそうになるので)忘れず頑張りたいものです。

誰に評価されるか

これを考えるのは大切なことです。自分が為すことで誰に対して価値を提供する必要があるのか。
それは、jkondo氏が言う「自信のモチベーション」の為でもあるし、「出資者に対して適切なリターンを提示する」というのは資本主義社会の労働者として当然のことでしょう。(なんか切なくなる表現ですが。。。)

別に大勢に評価される必要はないのです。そのほうがいいけど。自分のモチベーションが維持できるよう適切な人に適切に評価をもらえるように、と考えて仕事をする。日々の仕事を片付けることにとかく流されてしまいがちな自分にとって、これはこれで割と難しいことです。

継続するということ

jkondo氏の喩えがうまいかどうかについてはおいておくとして(笑)、要は「継続は力なり」。昔から言い継がれてきたこの言葉に集約されるのでしょう。
継続しなければ何かを成し遂げることは出来ないのですから。


ということで、色々書きましたが、要は日々の業務を淡々とこなすことに流されてしまっている自分に、社会人7年目にして再度喝を入れる、それがこのエントリの目的です。お粗末さまでした。

2006/05/01 参考にしたブログエントリのうちリンクがなかったものへのリンクを追記
小飼弾様 http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50467766.html
ごろー様 http://gorok.cocolog-nifty.com/gorok/2006/04/post_b7cf.html#more